大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和27年(行ナ)26号 判決

原告 林兼造船株式会社 代表者 代表取締役 中野文次郎

訴訟代理人 小林明政

被告 高等海難審判庁長官 長屋千棟

指定代理人 藤井長治

主文

高等海難審判庁が昭和二十六年九月二十七日になした「本件衝突は林兼造船株式会社の業務上の過失によつて発生したものである」旨の裁決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求め、その請求の原因として、左のように主張した。

機船第六関丸と気船満珠丸との衝突事件の受審人後藤五郎、鈴木吉次郎、赤沼秀平、指定海難関係人浜崎長太郎に対する海難審判事件について、第二審の高等海難審判庁は昭和二十六年九月二十七日に、主文第一項に記載したような裁決をなした。しかし右裁決は左記のような違法な点があるので、その取消を求める。

一、右裁決は不告不理の原則及び審級制の原則に違反している。

すなわち、海難審判事件で審理の対象となるのは、刑事訴訟の場合と同様に、理事官から審判の開始を請求した受審人、又は指定海難関係人のみなのである。海難審判庁は理事官の審判開始の申立によつて開始し(海難審判法第三五条-以下単に法と略称する)、理事官は、それと共に海技免状を有する者に対しては懲戒を求めるために受審人として(海難審判法施行規則第二六条-以下単に規則と略称する)、海技免状を有しない者に対しては勧告を求めるために指定海難関係人として(規則第二七条)審判を求めるのである。しかるに、原告は右事件においては、受審人又は指定海難関係人として指定されたものではなかつた。故に右海難審判事件においては、原告は一回も審判期日に出頭する機会すら与えられず(法第三九条参照)、答弁又は弁解をなすことはもちろん、証拠方法を提出する機会もなく、全く一方的に本件衝突事故は原告の業務上の過失によるものと断定されたのである。殊に第一審である門司地方海難審判庁の裁決では、原告は全然問題にもされていなかつたのに、突如第二審である高等海難審判庁は上記のように原告に過失ありと裁決したのである。第二審の審判の範囲は事件並びに受審人及び指定海難関係人の全部には及ぶが、それ以外の者には絶対に及ばないのである(規則第六三条)。故にこの点からしても、控訴審である原審では原告を審決の対象とはなし得ないのである。海難審判法においての裁決は、その名こそ異つているが、その本質は裁判であるから、原告官である理事官と、被告の立場に立つ理事官から審判を要求された受審人或は指定海難関係人との雙方の主張をきき、その主張の範囲内で裁決すべきなのである。右裁決は後記二のように事実認定に誤りがあるが、それはしばらく別として、原告は証拠を提出する機会もなく、更に相手方の提出した証拠に対し意見を述べ或は反駁する機会も与えられなかつたのである。

それであるから、右裁決は違法というの外はないが、このような被告の審理の方法は全く、憲法で強く保障されている国民の基本的人権の侵害である。

二、機船第六関丸と気船満珠丸との衝突は、第六関丸の舵機の故障に原因しているもので、その舵機の故障には原告に過失ありとするのが、原判決の判定であるが、原告には過失はなかつたのである。原告は一般造船業者として為すべき注意義務を十分に尽していたので、舵の故障に気がつかなかつたとしても、それについては期待可能性がなかつたのである。ことに一で主張したように原審はこの点について原告に何等立証の機会すら与えることなく、一方的に判断したものであるから、この点においても違法がある。

被告の本訴が不適法であるとの主張に対し、左のとおり答弁した。

一、海難審判庁の裁決は、その名は裁決であるがその本質は裁判である。それが確定した場合にはそれだけで原告は不利益な判定を受けたので権利を侵害されたものといわなければならない。仮にそれだけでは権利の侵害にはならないとしても、機船第六関丸と気船満珠丸との衝突事件によつて損害を被つたと主張する者から原告が、民事上の損害賠償の請求を受けた場合には、その重要な法律点である原告に過失ありということが確定されたことになり、少くとも動かすことのできない程度の重要な証拠となるのである。損害を請求されないとしても、商取引上信用を失墜することになるから、それだけでも重要な損害を被つたことになる。又ある場合には、海難事件の発生に伴う刑事々件についての違法性が原告にあることを断定される有力な資料ともなるのである。故に原告は原裁決によりいろいろな法律上の不利益を受けるものだから、原裁決の取消を求めるについての利益を有し、従つて当事者適格を有するものであるから(憲法第一三条、第三二条、第七六条)、被告の主張は理由がない。

被告代理人は「原告の訴を却下する」との判決を求め、理由として、下記のように主張した。高等海難審判庁が原告主張のような裁決をなしたことは認める。元来海難審判事件は、一方においては、受審人又は指定海難関係人を処分することを目的としているが、同時に、他方においては、懲戒処分には関係なく、ただたんに海難の発生原因を探究してこれを明にしてその防止に寄与せしめようとすることを目的としている(法第一条参照)。前者の場合には、その処分が違法である限り処分を受けた者が訴を提起し得るものであるが、後者の場合は、これによつてなんら法律上の権利の侵害を受けるものがないから、これに対し訴を提起し得るものはないのである。たとえば、海難事件が発生しても関係者全員が死亡した場合においても、又理事官が申立をした受審人又は指定海難関係人が海難の原因には直接関係なく、第三者に原因がある場合でも、海難審判所は前記の目的のために、海難の発生原因を判断してこれを公表するのである。従つて後の場合は、たんに事実を明にするに止まるので、何人の権利義務にも直接又は間接に影響のあるような判断、処分をなしたのではないのである。海難審判法第四条第三項は、第三者に海難の原因がある場合を予定して、その者に裁決を以て勧告することのできることを明にしている。これも全く事実上の処分で、法律的な判断ではなく、その者の権利、義務には直接なんらの影響もないのである。本件の場合でも、機船第六関丸と気船満珠丸との衝突の原因を明にする趣旨で、被告の業務上の過失によることを明にしたのに止まり、原告の権利義務には直接にも間接にも関係がないのである。従つて原裁決によつて法律上なんの影響も受けていない原告は、原裁決に対し、不服の訴を起し得ないわけである。故に原告の訴は不適法として却下せらるべきである。

被告代理人は「原告の請求を棄却する」との判決を求め、その理由として次のように主張した。

一、現在の海難審判法が不告不理の原則に基いていることは、原告主張のとおりであるが、理事官が申立てた事件について海難審判所が審判をするにあたり、その海難の原因が受審人又は指定海難関係人以外の者の責任に帰している場合には、その者の責任によるものなることを明にすることは、法律の当然予想するところである、むしろ法律がこれを命じてすらいるのである(法第三条、第四条第一項、第四三条参照)。ことに上記のように、その結果は第三者の権利義務になんら影響がないのである。故に原審決は不告不理の原則に反するものではない。

二、海難審判手続の審理の過程で原告には弁解の機会すら与えられなかつたと主張しているが、上段において詳しく説明したように、原審決はなんら不利益な影響を与えるものではないから、原告に弁解、陳述の機会を与えなかつたとしても何等の違法はないのである。

故に原告の主張は理由がないのである。

理由

先ず原告が、高等海難審判庁が昭和二十六年九月二十七日になした原告主張の裁決につき、取消の訴を求める利益を有するや否やについて判断する。

機船第六関丸と気船満珠丸との衝突事件の受審人後藤五郎、鈴木吉次郎、赤沼秀平、指定関係人浜崎長太郎に対する海難審判事件について、第二審の高等海難審判庁が昭和二十六年九月二十七日に、「本件衝突は原告の業務上の過失によつて発生したものである」旨の裁決をなしたことは当事者間に争がない。右裁決が直接原告の権利を侵害し、又は原告に義務を課するものでないことは被告主張のとおりである。しかし右裁決は通常の行政処分と異つて、右裁決をなした高等海難審判庁自身においても、裁決後において自ら取消すことができず、それは海難審判法第五三条により東京高等裁判所に訴が起されて取消されるだけなのである。この点において裁決は判決に類似している効力を有しているばかりではなく、海難事件に対する審判手続も、理事官の審判開始の申立によつて開始され、一審、二審と審級を設けられ、証拠調その他の手続も大体において訴訟手続によく類似していると認めざるを得ない。しかも後に詳しく述べるように、海難審判の手続そのものが十分に整備されているとはいえない点があるので、海難審判の手続について規定の欠けているものについては、訴訟法の規定を準用して考えるのを相当とする。海難審判法はその一つの目的は、海難の防止に寄与するために海難の原因を明にするにある(法第一条、第二条第一項)。しかも、海難審判庁はその原因を明にする我国においての唯一の官庁であり、殊に審判官は権威者が任命されているのであるし、上記のように理事官の審判開始の申立によつて手続が開始されて、二審制という慎重な手続によつていることを考えると、高等海難審判庁の裁決は権威あるものと考えるのが相当である。従つて、たとえば船舶の衝突事故で、あるものにその原因ある旨を裁決の主文で明にした場合においては(主文において明にしたことに特別の価値と意味とを認めることについては、後に詳しく説明する)、その衝突事故によつて損害を被つたものからその原因ありとされた者に対し、民事上の損害賠償を請求されたような場合においては、いわゆる裁決の既判力が及ぶようなことはないが、その民事々件において、その裁決の主文に現われた内容は一応尊重されるということは、むしろ当然のことと思う。このような関係はたんに民事々件のみではなく、被告主張のようにこの海難事件の発生に伴う刑事々件においても考えられるのである。本件の場合についても、原告は上記の船舶の衝突事故については、その業務上の過失に基くものであると、裁決の主文において明にされたのであるから、原告は右に説明したような不利益を被つているのである。このような不利益はただ単に事実上の不利益なりと断定するのには、余りに重大なもので、これを法律上の不利益であると認めるが相当である。海難審判法及び海難審判法施行規則は、高等海難審判庁の裁決に対し東京高等裁判所に訴を提起し得る者が何人であるかについては、明定していないが、右のようにその裁決のために法律上の不利益を受けた者は、その取消を求める法律上の利益を有するものであるから、右の訴を提起し得るものと解するのが相当である。よつて原告の訴が不適法でありとする被告の主張は理由がない。

次に進んで本案について判断する。原告が、第一審の地方海難審判庁に理事官から受審人又は指定海難関係人として指定されていなかつたことは、被告の明に争わないところである。海難審判法は、一方においては、上記説明のように、海難の原因を明にしてその発生の防止に寄与することを目的としているが、他方においては、裁決を以つて海技従事者又は水先人を懲戒することを目的とすると共に(法第四条第二項)、更に右記の者以外で海難の原因に関係あるものに対し、裁決を以つて勧告することをも目的としている(法第四条第三項)。海難審判は理事官の審判開始の申立によつて開始されるのであるが(法第三五条)、理事官は海難が海技従事者又は水先人の職務上の故意又は過失に因つて発生したものと認めるときはその者を受審人として審判開始の申立書に記載しなければならないし(法第三四条第一項、第三三条第二項、規則第二六条第二項)、理事官が勧告の裁決を請求する必要があると認める者があるときはこれを指定海難関係人として指定して審判開始申立書に記載しなければならない(規則第二七条)。受審人及び指定海難関係人の指定は審判開始の申立と共になすのが原則ではあるが、審判開始の申立後でも、理事官は第一審に限り、新に指定することができる(規則第三二条、第四五条第二項)。これらのことを考えると、海難審判事件はいわゆる不告不理の原則に基いているものと認めるのが相当である。高等海難審判庁の原裁決によれば、原告は懲戒処分を受けているのでもなく、又勧告を受けているのでもないからこの点のみから形式的に観れば原裁決は不告不理の原則に反していないようにみえる。

海難審判法第四二条、第四三条と海難審判法施行規則第五二条ないし第五四条によれば、裁決書についていろいろのことを規定して理由を附し殊に証拠によつて海難の原因である事実を認めるか、認めないかを明にしなければならないことは、民事、刑事の判決書の場合と同様であるが、民事、刑事の判決書のように主文を掲げなければならない旨の規定は存しない。しかし上段に説明したように裁決が判決と同様に自ら撤回することのできない効力を有しているのは、判決の場合と同様に主文に該当する裁決の結論の部分に限らるべきで、その理由の説明の部分にまで及ぶものではないし、又受審人を懲戒に附するか否や、指定海難関係人に勧告するか否やというような審判の目的自体に対する審判官の判断は、当然主文に記載すべきであると解するのが相当である。

海難の原因を明にすることも上記のように審判の目的となつているから、主文に明にするのが相当であるし、このことは、その原因が被審人又は指定海難関係人のみに関する場合或は何人の権利義務にも直接関係のないような場合にはなんらの支障もない。しかしその原因を明にすることが、被審人又は指定海難関係人以外の第三者の権利義務に直接影響を及ぼすような場合には同様に考えることはできない。それは一方、主文に掲げることによつて第三者の権利義務に重大な影響を与えることについては、上段において説明したとおりであるのに、他方、その第三者に対して弁解の機会を与えることについては、現行法が格別の配慮をしていないことは、後段に説明するとおりである。故に海難の原因を常に主文で明にすることを特に要求していない現行法の解釈としては、海難の原因を明にすることが、第三者の権利義務に直接影響するような場合には、特に主文にこれを明にすべきでないと解するのを相当とする。

刑事裁判に於ての被告人や民事裁判に於ての被告のように判決で不利益な判断を受けるおそれのある者は、必ず答弁又は弁解の機会が与えられており、海難審判事件に於ても同様で、受審人と指定海難関係人は答弁又は弁解の機会が与えられている(法第三四条、第三八条、第三九条、規則第三六条、第三九条、第四〇条)。これは近代においての裁判又はこれに準ずる制度においては例外をみないところであるし、殊に国民の権利義務を強く保障し保護している新憲法下においては、元より当然のことであつて、国民の何人も一回の答弁又は弁解の機会すら与えられるところなく、国家から権利義務に重要な影響を受けるような裁判又は審決を受けるようなことは、特別の規定のある場合を除いては考えられないのである。

飜て本件の場合について考えてみるに、原裁決は受審人である後藤五郎、鈴木吉次郎、赤沼秀平に対しては懲戒処分をせず、指定海難関係人である浜崎長太郎に対しても勧告をしていないが、このことは主文においてはこれを明にしなくて、主文においては上記認定のように原告に業務上の過失ありと明記していることと、原告に対しては審判手続において一回も答弁又は弁解の機会すら与えなかつたことは、被告の認めて争わないところである。

被告は、海難審判事件においては海難の原因のみを明にすることを目的とし、懲戒又は勧告をなすことを目的としない事件が存するのであるから、その場合には答弁又は弁解を求める必要がないのであると主張している。海難審判事件に右のような性質の事件の存することは被告主張のとおりであるが(法第三三条)、この場合の審判手続と審判官が海難の原因が第三者にありと考えた場合に、第三者に対しどんな処置をしていいのかについては別に規定がないし、この場合に主文においてその裁決の結論を明にするか否か、或は第三者の権利義務に法律上重大な影響を及ぼすような表現を用いても差支えがないか否や等については、法律はなんら触れていない。しかし本件は、理事官が裁決を求めた当初はこのような海難の原因を明にすることのみを目的としている事件でないことは上段認定のとおりである。海難審判事件においても、審判の結果受審人又は指定海難関係人が海難の原因には関係なく、第三者にその責任があると判明する場合はあることと思う。これは刑事々件においても加害者は被告人ではなく第三者であることが民事々件においても不法行為の責任者が被告では第三者であることが審理の結果明かになることがあるのと同様である。民事刑事の裁判においては、このような場合には被告人又は被告に責任のないことは主文において必ず明にするが、第三者に責任あることを主文において明にするようなことは絶対になく、これを明にするとしても理由中において説明するに止めているのである。この理由中の判断は既判力は及ばないといわれているのであるから、民事の判決書中において不法行為の責任ありとされた第三者に対し損害賠償の責任を問う訴が後に提起された場合でも、その第三者は前の判決により格別の不利益を受くることなく、自己の権利を守るために主張立証することが当然認められているのである。このような取扱をなしてこそ国民の権利は初めて保護されるというべきである。本件の場合について考えてみるに、海難の原因が受審人及び指定海難関係人になく第三者である原告の業務上の過失に基いたものと判断したのであるが、主文において、受審人は懲戒に付せず、指定海難関係人に勧告をしないことを明にして。その理由中の説明でその原因が原告の業務上の過失に基いていることを、明にすれば足りたのである。このような場合に、裁決書においてどのように明にするかについての明文のない現在においては、右のようにすれば、一方においては海難の原因を明にすることになるし、他方においては、国民の権利を不当に侵害することにもならないと考える。或は、本件の海難の原因を主文において明にするとしても、それによつて第三者の権利義務に直接影響のないような方法によれば、それも一つの方法と考えられる。

そうであるから、一方、理事官からなんの審判も求められていない原告に対し、他方なんら答弁又は弁解の機会すら与えることなく主文で原告の業務上の過失に基く旨を明記した原裁決は、実質的にみれば、不告不理の原則に反すると共に、原告の権利を不法に侵害した違法があると認めざるを得ない。故に原裁決の取消を求める原告の本訴請求は理由があるから、原裁決を取消し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 柳井昌勝 判事 村松俊夫 判事 中村匡三)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例